辻説法   世直し新聞

日々移り変わる現代に於いて、進みべき道を模索し提言申し上げます

悲惨な事件相次ぐ

今年に入って悲惨な事件が相次いでいる それも川崎の中学生殺人事件のような子供が子供を
殺したり、少女が老婆を殺す 警察官が愛人を殺すなど、この国はどうなってしまったのかと
開いた口が塞がらない事件が続いている。

本来、日本はこんな悲惨な国だったのだろうか。

ここに、かつて外国で産まれジャーナリストとしてこの国をつぶさに見つめてきた
1人の男の記事がある。



停車場にて


小泉八雲 Lafcadio Hearn

林田清明




明治二六年六月七日

 きのうの福岡発信の電報によると、当地で逮捕された兇徒が、裁判のために、きょう正午着の汽車で熊本へ護送されるということだった。熊本の警察官が、この兇徒を引取るために福岡に出張していたのである。
 四年前、熊本市相撲町すもうちょうのある家に、夜半、盗人が押し入り、家人らを脅して、縛り上げ、高価な財産を盗んだ。警察がうまく追跡して、盗人は二四時間以内に逮捕されたので盗品を処分することもできなかった。ところが、警察署に連行されるとき、捕縄とりなわを解ほどき、サーベルを奪い、巡査を殺害して逃走したのである。つい先週までこの兇徒の行方はまるっきりつかめなかった。
 ところが、たまたま福岡の監獄所を訪れていた熊本の刑事が、四年もの間、写真のように脳裏に焼き付けていた顔を、囚人たちの中に見つけたのである。
 「あの男は?」獄吏に尋ねた。
 「窃盗犯でありますが、ここでは草部と記録されております。」
 刑事は囚人のところに歩み寄ると、言った、
 「お前の名前は草部ではないな。熊本の殺人容疑でお尋ね者の、野村禎一だ。」
 重罪犯人はすっかり白状したのである。

 停車場に到着するのを見届けようと私も出かけたが、かなりの人が詰めかけている。人々が憤るのをたぶん見聞きするだろうと思っていたし、一悶着ひともんちゃく起こりはしないかとすら恐れてもいた。殺された巡査は周囲まわりからとても好かれていたし、彼の身内の者も、おそらくこの見物人たちの中にいるはずである。熊本の群集もとても温和おとなしいとはいえないのである。それで警備のために多数の警官が配置されているものとばかり思っていたが、私の予想は外れた。
 汽車は、下駄を履いた乗客たちのあわてた急ぎ足やカラコロという音が響き、また新聞やラムネなど飲み物を売る少年たちの呼び声などで、いつものようにあわただしく、また騒々しい光景の中に停車した。改札口の外で、私たちは五分近くも待っていた。そのとき、警部が改札口の扉を押し開けて出てきて、犯人が現れる――大柄の粗野な感じの男で、顔は俯うつむき加減にしており、両の手は背中で縛られている。犯人と護送の巡査は二人とも改札口の前で、立ち止まった。そして、詰めかけている人たちが黙って一目見ようと前の方に押し寄せた。そのとき、警部が叫んだ。
 「杉原さん! 杉原おきびさん! いませんか?」
 「はい!」と声がすると、私の近くに立っていた、子どもを背負った細身の小柄な婦人が人混みをかき分けて進み出た。この人は殺された巡査の妻で、背負っているのが息子である。警部が手を前後に振るしぐさをすると、群衆は後ろずさりに下がった。そうして、犯人と護衛の警官のためのスペースが出来た。この空間で子どもを背負った未亡人と殺人者とが向き合って立つことになった。あたりは静まり返っている。
 そして、警部がこの未亡人にではなく、子どもに話しかけた。低い声だが、はっきりと喋ったので、一言一言が明瞭に聞き取れた。
 「坊や、この男が四年前にあんたのお父とつさんを殺したんだよ。あんたはまだ生まれちゃいなくて、お母つかさんのお腹の中にいたんだからなぁ。あんたを可愛がってくれるはずのお父とつさんがいないのは、この男の仕業だよ。見てご覧――ここで警部は犯人の顎に手をやり、しっかりと彼の目を向けるようにした――坊や、よく見てご覧、こいつを! 怖がらなくていいから。辛いだろうが、そうしなくちゃいけない。あの男を見るんだ!」
 母親の肩越しに、坊やは怖がってでもいるかのように、眼を見開いて見つめる。そして、今度はしゃくり泣き始め、涙が溢れてくる。坊やは、しっかりと、また言われたように男をじっと見つめている。まっすぐにその卑屈な顔をずっと覗き込んでいた。
 周りの人たちも息を呑んだようである。
 犯人の表情がゆがむのが見えた。後ろ手に縛られているにもかかわらず、彼は膝の上に崩れ落ち、顔を土埃ほこりの中に打ちつけて、人の心を震わせるような、しゃがれた声で自責の念に駆られて、しばらく嗚咽おえつしていた。
 「済まない! 許してくれ! 坊や、堪忍しておくれ! 憎んでいたからじゃねぇんだ。怖かったばかりに、ただ逃げようと思ってやっちまったんだ。俺がなにもかも悪いんだ。あんたに、まったく取り返しの付かない、悪いことをしちまった! 罪を償わなくちゃならねぇ。死にてぇだ。そう喜んで死にますとも! ですから、坊や、お情けと思って、俺を許しておくんなせぇ!」
 男の子は静かにまだしゃくり泣いている。警部は肩を震わせている犯人の男を引き起こした。黙りこくったままだった人々は、左右に分かれて道を空あけた。するとそのとき、まったく突然に、群衆がみなすすり泣き始めたのである。銅像のような表情をした護送の警官がそばを通りすぎるとき、私は以前にも見たことのないもの――ほとんどの人もかつて見たことのない――そして私もおそらく再び見ることのないであろう――日本の警官の涙を目撃したのである。

 人だかりも潮しおが引くように少なくなった。私は取り残され、この場の不思議な教訓について考えている。ここには、自分が犯した犯罪行為のために遺児となり、未亡人となったという明白な結末を目の当たりにして、心情的に犯罪の意味について悟らせるという、本来そうあるべきだが、温情ある裁きがあったのである。ここには、死を前にしてひたすら赦ゆるしを乞う、一途な後悔の念があった。また、ここには、怒りだせばこの国の中では最も危険な庶民がいた――ところが、この人たちは、人生の困難さや人間の弱さを純朴に、また身にしみて経験しているので、激しい怒りではなく、罪についての大きな悲しみだけで胸塞がれ、後悔の念と恥を知ることで満足しており、またあらゆることに感動し、何もかもを分かっているのであった。

 このエピソードのもっとも重要な事実は、それがきわめて東洋的であるからだが、つぎのことにある。犯人を悔い改めさせたのは、彼自身も持っている、子に対する父親の心情に訴えたからであった――子どもたちへの深い愛情こそが、あらゆる日本人の心の大きな部分を占めているのである。

 日本では最もよく知られた盗賊の石川五右衛門に、つぎの話がある。ある夜、殺して、盗みを働こうと人家に忍び込んだときに、自分に両手を差し伸べている赤ん坊の微笑みに、五右衛門はすっかり気を奪われた。そして、この無邪気な幼子と遊んでいるうちに、自分の所期の目的を達成する機会を失ったというのである。
 これは信じられない話ではない。警察の記録には、毎年、プロの犯罪人たちが子どもらに示した同情の報告がある。地方新聞に載った、数ヶ月前の凄惨な大量殺人事件は、強盗が睡眠中の一家七人を文字通りに切り刻んだものであった。警察は、一面の血の海の中でひとり泣いている小さな男の子を発見したが、まったくの無傷であった。警察によれば、犯人らが子どもを傷つけまいとしてかなり用心した確かな証拠があるという。



ここに描かれている日本の庶民像は世界に誇れる日本人を余すことなく語り尽くしている

この国は本当にどうなってしまったのだろうか……

騒音おばさんとの戦い

そうゆうわけで、騒音おばさん、Tさん部屋に通う日が続いた
なかなか、ドアが開かない、何度、通っても逢ってはくれなかった。
「俺は何やってんだ」
数年前まで若い女に所に通って、大歓迎されていたのに、
今ではこんな、わけの分からない婆の所に何で通わなければ、ならないんだ
何度、押しても応答はない
チャイムを鳴らしながら、考えた。
「このばあちゃんは何が楽しくて生きているんだろう」
引きこもりみたいな生活、趣味も楽しみも、ないのだろうか。
人とも逢わず、死ぬまで部屋で隣のうちの壁を叩き続ける
そんな、人生に何の意味があるというんだ。
きっと、この団地に越して来たときは、若夫婦で小さな子供もいて
夢も希望もあったんだろうな
何度かの、訪問でやっとドアが開いた
「おばあちゃん、隣に迷惑かけないでよ」
「迷惑かけられているのは内ですよ、あなたは何をおっしゃてるの」
どんな気狂いばばあが、出てくるかと、思ったら品のよい、おばあさまが現れた。
「はぁ、どんな迷惑ですか」
「隣のうちは、犬や猫をたくさん飼っているのよ、その匂いの臭いことと言ったらあなた、とんでもないことよ」
どうやらこのおばあちゃんは痴呆症になっているらしい、言ってることが支離滅裂だ
「そんな、事実はありませんよ、それより、このまま、こんなことを続けると、おばあちゃんここにいられなくなるよ」
押し問答が続けていると、突然、ばばあが、切れやがった。
「あなたはここにいないから、何もわからないのよ、それなら一晩泊まって鳴き声を聞きなさい」興奮の余り震えながら怒っている、相手がヤクザやチンピラなら目にもの見せてやるのだが、こんなばばあじゃどうにもならない、俺は取り敢えず話を遮って一旦退避し、菓子折を買って再び訪問した、お菓子を渡すと急に態度を変えるばばあ、部屋にあげてお茶まで出てきた、それから説得すること二時間、最終的には二度と隣のドアは叩かないと約束させ、念書も取った、一件落着かと思いきや、その後も問題は続いた

自治会長編  2   後期高齢者社会を思う

自治会総会で悲壮な顔をして、質問をしてきたご老人
Tさん 「いやね、うちの隣の人が夜中にがんがん、壁を叩くんですよ」いかにも気の弱そうな、おじいさんは、泣きそうな顔で訴える、
「隣のTさんは、うちに猫や犬がいると言って聞かないんです」動物などいないと言っても、全く信用されず、夜中まで壁を叩きまくるらしい。
「そんなババア、浦安に埋めちゃえば良いじゃない」いけねえ!あぶない、あぶない本音が出るとこだった。
「大家に言ってもダメですか?」俺は聞いてみた。
「何回も管理室に行って、苦情を申し上げたのですが、掛け合ってくれませんでした」
「じゃあ、しょうがない、部屋に火付けましょう」いけねえ!あぶないあぶない、また出るとこだ。
「取り敢えず行ってみましょう」
被害者の自宅に向かう
「すいませんね すいませんね」
途中、自分が悪いみたいに頭を下げるご老人
「いや、これが仕事なので、気にしないでください」
自宅に到着 ご老人の扉には、きちがいがやったとしか思えない黒マジックの落書きがびっちり
「これも、隣のTさんがやりました」
「ほう、良かったですね うちだったら許さないですよ
チャイムを鳴らす
(ピポーン ご用件をお伝えください)
どうやら、録音機能のインターホンらしい 
自治会のお母さん達に、言葉使いに気をつけろと言われていたのを想い出した。

「おい、こら、散々、近所に迷惑掛けやがって、出てこい、コラ・・・でございます」
「・・・・・・」
「このドア、開けないと叩き破って中に入るぞ コラ・・・でございます」
どうやら、居留守を使っているらしい・・・
仕方がないから、扉を優しく叩かせて貰った

 ガン  ガン  ガン!!

慌てて、座敷童のような、ばばあが出てきた。
「何かしら・・どうしてうちの扉を叩くの」

「あなた様でございますか、隣の壁を夜中まで叩き続ける、気の違ったご婦人は?」

「隣は犬と猫を飼っていて、その異臭が24時間するんですよ、どうしてくれるんですか」

「そのような事実はありません 先ほど確認致しました、それより何で迷惑を掛けるのでございますでございますか?」

やばい、言葉が変になっている!!

「被害を受けているのはうちです、あなたは何を証拠にそんな事を言っているんですか」

これはだめだ、この、おばさん、眼が逝っちゃっているし、口からはよだれが泡を吹いている。

「ともかく、二度と壁を叩いたりしないでください、これ以上、お隣に迷惑を掛けるのならば、警察に通報します」

ばばあが思いっきり、ドアを閉じる、危うく手を挟まれるところだった。

その後、被害者のご老人から、1年以上続く騒音被害の実態を聞かされる。
こんな事続けられたら、俺でも気が狂うと思うほどだった。

長年、生きてきて終の住処でこんな目に遭うなんて、思いも知らなかったと最後は泣きながら話す、ご老人。

後期高齢者の抱える問題は根が深く簡単には解決しない事を思い知らされた。




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自治会長になる編

    2012年 ある月

4年前に越してきたURのマンモス団地1800世帯を越える住民が住んでいるのも
関わらず、俺には、知り合いが一人もいなかった。

俺は駅前の空手道場をやりながら、生涯の夢である小説をネチネチ書いている。
 
その日、稽古が終わり疲れた身体を自転車駐輪場に入れたとき、若者のすっとんきょな
叫び声が聞こえてきた。自転車置き場の一角を占領して中学生が酒盛りをしていた。
傍には飲み残しのビールやコーラの缶、そしてカップラーメンの残りものや駄菓子の
屑が散らかりまくっていた。
「おい、お前ら、此処でなにやってんだ」
少しがたいの良い中学生(?)らしい男5人とケバい化粧をした未成年のガキが
俺を見上げてニタニタ笑っていた。
「おい、聞こえねえのか、 餓鬼ども 返事をしろ!!」
一番柄の悪い餓鬼が立ちあがってこちらを睨みつける。
「おぃおっさん なんか文句あるのかよ」
言い終わる前に、俺の前蹴りが餓鬼の鼻に炸裂 顔面を押さえてうずくまる。
慌てて立ちあがるもう一人の餓鬼の喉を思いっきり掴んだ。
俺の握力は百キロを越えている。
一瞬にして真っ青になる餓鬼を自転車がたまっている場所にぶち投げた。
クモの子が逃げるように、餓鬼どもは散っていった。

根性にねえ、餓鬼どもだ。

しかし、ああいう、輩が平気で人を殺すんだろう。

このような馬鹿餓鬼をぼこるため、なんか役が必要だなと思った
俺の目に自治会の掲示板に書いてある文字に止まった。

「自治会 役員募集」

なんか役職に就けば、えんりょうなく餓鬼をぼこれるな。
担当役員はTという70を遥かに越えたおじいちゃんだった、電話をすると
天からの助けと言わんばっかに(是非、お寄りください)と言うので、その足で
隣の三号棟に向かう。
ピンポンを鳴らすと、子供ぐらいの背丈で人の良さそうな顔を、したお爺さんが出てきた。
無表情で入ってと言われる、俺は事の成り行きを話、取り敢えず、うるさい糞がきをボコりたいから、役員にしてくれと頼んだ。
ジジイは無表情でTVを見ていた、俺は出された生ぬるいお茶を一口だけ飲んで(それじや)と帰ろうとすると、すみません、よかったら是非、会長をやってください((((;゚Д゚)))))))
はぁ会長って何するんですか、まぁ細かい事はまたあとで・・・・考えず話を聞いたのが事の始まりだった。
帰って考えた、今でも死ぬほど忙しいのに、これ以上忙しくして、どおするんだい、やはり、この話は断ろうと思った時、役員のおじいちゃんの顔が思い浮かんだ、二年前、奥さんを亡くしたと言っていた、子達は独立して都心に住んでいる、あのお爺ちゃんは毎日何が楽しくて生きているんだろう、そういえば隣の隣には呆けてたまにドアを叩く老婆がいる
俺が昼間いる事をいい事にドアを叩いて死んだ旦那が帰って来ないと訴える、話を聞いてやると金を貸してくれとつけあがる。
ボケて乳母車を引き続ける婆ぁはいつもニコニコ笑っている
あの老人達は本当に幸せなんだろうか?
子供の為に必死に働き苦労に苦労を重ねた結果が姨捨山のような団地の一人生活、この団地は三割が後期高齢者らしい、そして、俺も近いうち、その仲間に入るのだろう、
人の良さそうなお爺さんの顔を思い浮かべていたら、こんな俺でもなにかの役に立つのかなと思ったりした。
俺は儲からない空手道場をやりながら、売れない小説を書いている、趣味で始めた書物はもう二十年になる、多くの女性が俺の才能に期待してくれたが残念ながらまだ花は開かない、
最近やっと小説のかきかたがわかって来たと思う、夕方から空手道場が始まるから、それまでは、家で毎日三時間ぐらい執筆をしている、こんなブログ書いてる暇があったらさっさとデビューしろと小説の師匠に怒られそうだが、これはこれでなんだかのテーマを持ってくれれば将来の役に立つような気がしている、今後、日本はさらに少子高齢化が進むであろうから、その社会で一人一人がどのような生き方ができるのか問われるのではないだろうか。

会長に推薦されて最初にやった会議は副会長と称するもう、この団地に30年も
住まわれているおばさま方とのお話し合いであった。
話しは現在の会計、会長の事、団地に於ける問題点など様々であった。
特に後期高齢化が進んでいるこの団地で、もし関東大震災並みの地震が来たら
車椅子や自分で歩けない高齢者を誰が助けるかという話しに及んだ。
俺も3年前の東日本大震災で天災の恐ろしさを現実に体験したが、直接、被害にあったわけではない、そういう意味では東京に住む殆どの人が震災をなめてかかっていると
いわざるを得ない、もしが現実になるのは、明日かも知れないのだ。
Blogネタ的には面白くない話しではあるが、このときよりひとつの宿命を背負ったような気がした、「もし会長になるなら命懸けの仕事になるぞ」

                                     *

その日も、小説を書いてるいると、思いっきりドアを叩く音が聞こえた、余りに激しく叩くものだから、俺は革命的警戒心を持ってドア越しに聞いた



「どなた?」


お父さん早く帰って来なさい!


????


「帰ってこいったってうちですが?」


恐る恐るドアを開けてみると
そこには下着姿の白髪の老婆が腰を曲げて、こちらを見上げている


「己、現れたな妖怪変化‼」


思わずぶん殴りそうになったが
二つ隣の痴呆症のババァだ。

お婆さん、何やってんの
そんな格好じや風邪ひくよ
よく見ると粗相したのか股引が濡れている
 
「お父さんが帰って来ないのよすれ違っちゃたみたい」

なぜか笑いながら俺に語りかける

この老婆のお父さんは数年前に亡くなっているらしい、もういない亭主が帰って来ると思い、なかなか帰ってこないからすれ違ったと
思っている
「婆ちゃん、早く帰りな」
俺は話していても拉致が開かないと思い帰宅を薦めた
「俺の親父 どこいってんだろうね、本当に困ったよ」
玄関に座り込み駄々をこねる婆さん
「あの〜困っているのは俺ですが」
「取り敢えずお茶でも飲もうか」
俺が言ったんではない
「ばばあが催促してきやがった」
仕方がないので麦茶を冷蔵庫からグラスに入れて玄関まで運ぶと婆ちゃんの姿がない
表を見ると隣のうちをガンガン叩いていた。
「何ですか?」
昼寝に勤しんでいたお隣さんが迷惑そうに出てくる
「いえ、たいした事ではありません お邪魔しました」
「何で俺が謝るんだよ」
ばばあを連れて家に(部屋に)帰る
玄関を開けて、ばばあを入れてあげる
「親父にあったら、帰ってくるようにいってくれ」
「はいはい、わかりました」
死んだ親父を待って徘徊する老人、ここには何人いるんだろう

俺が会長になったら、この人達に
なにが出来るんだろう


「お婆ちゃんともかく今日は早く帰りな 」

優しくいうと笑いながら、屁をこいた!
仕方がないので、手をとって部屋まで連れて行く 玄関を開けて婆ちゃんを押し込むと、うなだれてしまう。
「お婆ちゃん元気だせ」
激励すると、突然仰向けになり足をあげる
(俺に取り替えろってか)
取り替えるのはいいが、婆ちゃんのパンツ脱がして脚をあげているとこ誰かに見られたら
(ど変態親父、老婆を犯す)と新聞にでるだろう
「勘弁してくれ婆ちゃん」
      俺は逃げるように家に帰った。

                                      *

5月3日から6日まで那須のキャンプ場でテントを張った、二日の夜、慌てて準備をしていたら自転車を道場の前に忘れてしまった。
帰って来たら、やはりない、おまけに息子の自転車までなかった、行政が違法自転車を管理場に運んだのだ、身分証を見せて二台分の引き取り手数料5000円を払う、よくよく考えたら、これってヤクザと同じだなと思った。
俺のシマに自転車停めてやがったから撤去したぞ、返して欲しかったら金払えってことだろ、自治会でも自転車問題は大きな課題だ、自治体がヤクザにならないようにしなければ。
なにはともあれ、俺が会長になる方向で自治会は進んで行った、最初の役員会が行われた。
前会長は元公務員で定年退職ご自分で海外貿易の仕事をしている人だった、真面目で卒がなく、すべて、きちんとしなければ、いけない性格の人だった。
初の役員会が行われた。
何気なく、参加
が、びーーーーん
ほとんど、後期高齢者であった。
「あのーーーー失礼します」
                 逃げようとした、その時

「新しい会長さんです」
まだ、やると言ってないぞーーーー

パラパラパラ
な、なんだ、この嫌々ながらの拍手は、
「それでは新しい会長さん 御挨拶を」
ふぅーーーーー(一呼吸)
「こんばんは、木村拓哉です」
………………
「ち、ちがうかーーーーー」
………………
「えー政治経済の問題ですが……まぁそのーーーー」(田中角栄の物まね)
…………………………………………………………
だめだこりゃ

俺の世界が通用しない 早くこの場を去らなければ・・・・・

その時気合いの入ったおばあちゃんから「新しい会長さんに拍手」

真剣な拍手!!

鳴り止まない

泣いてる人いる

「た、たすけてくれーーーーー」
………………
いずれにしても、流れで自治会長になってしまった
元、不良少年で二回も離婚し誰からも相手にされないような
ヤクザに等しいこの俺が自治会長!!

本当に大丈夫かよ
知らねえぞ
ッ感じで迎えた「自治会 総会」
俺は所信表明という話をした。

「元気ですか!!」猪木調
「はっはっはっは」
完全に引かれている   耳を閉じているばばぁもいる
俺はかまわず続けた

「この度、諸先輩のご推薦で会長になりました00です年も若く
なんの経験もありませんが、明るく住みやすい団地を目指し全力で頑張って参ります」

パラパラパラ     微妙な拍手

元の会長には「余計なことは言わない方がいいですよ」と言われていた。
はぁ、そんなもんですか。

質疑応答で苦情の数々
「猫や犬の臭いがひどくて生活できない」
「きちがいばばぁが夜中怒鳴り込んでくる、壁を叩いて眠れない」
「祭りに参加しているのは俺だけだ、おまけにビールの一杯も出さない、自治会はどうなってるんだ」
「ふざけるな、この野郎、てめえ、だけが住んでるんじゃねえぞ」
と言いたい言葉をかみ殺し、会長としての先の見えない闘いがはじまりましたとさ。
                       *

自治会長になって初めての仕事
それは
運動会の来賓としての参加
であった。
キチンと背広を着てネクタイを締めて(何年ぶりだ)
地元の運動会に参加 一応 お祝いを包む
中にはボロボロの五千円札
それも最初は「いらない」と言われた。
うるさそうな会計のおばちゃんは俺よりも年上のシングル
俺と同じく離婚組かとおもいきや 数年前に死別
そうか、みんなそういう歳なんだ
メガネの奥から意地悪そうな眼が光る
一銭だって無駄遣いは許さないという空気満々
お祝いも出ないなら、来賓なんてみっともなくて行けるか
と思っていた矢先、五千円入りの汚れた、のし袋を持ってきた。
「お父ちゃん何年前になくなったの」
聞くときつい眼がよけいきつくなった。
「あんな、くそ親父、死んで清々したよ」
「そんな、ひどい親父だったの」
それから、親父の悪口聞くこと1時間
俺はご祝儀がほしいだけなのに
しかしながら、俺はわかっていた。
こういう話は聞いてあげれば半分が解決する
そのうち、ハンカチで眼を覆い泣き出した
「とんでもない、親父だったけど、また会いたい」
俺は今までの人生で、いったい何人の女と付き合ったのだろう。
でも、また会いたいと言ってくれる女は何人いるだろうか。
思い返しても一人か二人かな。
この団地には様々なドラマがあるような気がした。
「Blogネタにはなるな」

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                               *
会長になって最初の大仕事は「夏祭り」であった

昨年は役員でも何でも無く、偶然参加したが、インドの子供達が
狂ったように踊りまくっていて、なんかインド祭りのようだった

我が地域、西OOはインドの移住者が東京都内で最も多いい地域で
TVなどにも度々紹介をされている。

始めて参加した「夏祭り」は残念ながらインド人と高齢者だけの暗い盆踊りだった

今年は変えなくてはならない。

イベントは俺の専売特許だ、どこの自治会もできない凄いイベントにしてやる
決意を新たに準備に取りかかった。

まず始めに手を付けたのは昨年非常に好評だった「阿波踊り」である
地元の阿波踊りチームである「江戸O」さんにお願いをして駅前から
踊りを流せないか聞いてみる 問題は交通規制と参加人数だ

地元でお世話になっている区議会議員さんに連絡を取り地元の警察署に
同行をして貰った、担当の交通課長は計画書をしっかり作って道路規制
申請書を提出して欲しいとの事、早速、町おこし阿波踊り計画書を作成して
度々、警察署を訪問した、この警察署は十三年前、取り調べで呼び出しを
受けたところだ、当時、うちにいた生徒の母親が避けられない事情のため
事件を起こしてしまい、関連していた自分も取り調べを受けた。
当時の刑事さんはいるのだろうか、思うに本庁での取り調べに比べ
地元の警察の人達はどことなく人情味に溢れていて優しかった様に思う

俺が護身用のナイフを車に携帯したときにも、取り調べられたが
格闘技談義に花が咲き、最後は笑顔で見送ってくれた。

何度かの訪問により「道路使用許可」を取ることができた

あとは内容だ、昼間から店舗をたくさん出店させて、盛り上げるため
家族全員に声をかけ、また、できる限りの人脈を使い三十店舗近くの
店を開設させることができた。

昨年よりも大きな櫓を組み、昼は空手のエキシビションマッチを行い
夜は百名を越す「阿波踊り」を駅前から行進させ大いに盛り上がった
「夏祭り」を開催することができた。

それまで「あんな若いヤクザみたいな奴が自治会長なんかやったって、うまくいくはずが無い」というような雰囲気を一掃することができたように思う。

しかし、本当の自治会長としての闘いはここが始まりであった。  
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タイソン 告白に学ぶ

前回、書いたタイソンの記事は、決してタイソン批判では、ない
たとえ、どのような悪事を働こうとも、彼が類い希な才能をもった史上最年少の世界チャンピオン
であることは、疑いようのない事実である。
では、我々はこの、告白本から、何を学ばなければならないのか

プロスポーツというものは、記録(レコード)を作り人類の限界を越えるという
感動を与えるものではあるが、基本的に営利が目的である

②人は通常持ち得ない才能を持っていることにより、その才能が発揮されれば、されるほど、
その才能は営利に利用される可能性が高い

③どのような才能を持っていたとしても、人間としての最低のコモンセンス(常識的な感覚)
が無ければ、結果として不幸を招いてしまう。

④タイソンが苦しんだ原因は依存症であった、タイソンの人生を狂わす依存症には、セックス、飲酒、覚醒剤であったが、どんなものも極端に依存すると不幸の原因を作ってしまう

⑤栄光と挫折を考えると光が強ければ強いほど影も強くなる、その影に新たに光を差し込むものは、家族の愛である


まだまだ、様々な事が学べるが、折を見て書き込んで行きたいと思います

環境破壊の真実

環境破壊を考える

 地球が悲鳴を上げている。

続く天変地洋の急激な変化は、地球全体の問題になっているが、この日本でもおかしな事が起きている、先日は集中的なゲリラ豪雨で、近隣の新小岩駅が、水没した、京葉道路
一時
間に100ミリという豪雨で車の中まで水が浸水して走行困難となった。

代々木公園から、始まったデング熱騒ぎは、収拾どころか、全国的な模範で広がりを見せている。

そもそも、日本に存続しないウィルスを持った蚊が、なぜ、こんな急激に増えたのだろうか。

あくまで、仮説ではあるが、このような、変化は人為的に起きているのではないかという、説が広まっている。

日本はかつて、不治の病と言われた結核赤痢などを、新薬の製造で治してきた歴史がある。

そのような、歴史の中で多くの犠牲を払い、人類は発展向上してきたことは、歴史上の事実である

戦争や自然災害を通じて、様々な発明がなされ、医学や科学が進歩したことは、疑いようのない事実ではあるが、それが、知らない者の犠牲を伴うものであるならば、対抗する術を考えなければ、ならないのでは、ないのだろうか。

世界模範で起きている自然災害は本当に自然のものであるのだろうか。

もし、これらが人為的に行われているとしたら、大地震やハリケーンといったものも、疑ってかからなければ、なるまい。

落合信彦先生が書かれた小説に人類最終兵器は、人為的地震や台風を起こすものが、出てくるが

一部権力者の人為的な策略でこれらのことが、可能ならば、空恐ろしい事であろう。