辻説法   世直し新聞

日々移り変わる現代に於いて、進みべき道を模索し提言申し上げます

自治会長になる編

    2012年 ある月

4年前に越してきたURのマンモス団地1800世帯を越える住民が住んでいるのも
関わらず、俺には、知り合いが一人もいなかった。

俺は駅前の空手道場をやりながら、生涯の夢である小説をネチネチ書いている。
 
その日、稽古が終わり疲れた身体を自転車駐輪場に入れたとき、若者のすっとんきょな
叫び声が聞こえてきた。自転車置き場の一角を占領して中学生が酒盛りをしていた。
傍には飲み残しのビールやコーラの缶、そしてカップラーメンの残りものや駄菓子の
屑が散らかりまくっていた。
「おい、お前ら、此処でなにやってんだ」
少しがたいの良い中学生(?)らしい男5人とケバい化粧をした未成年のガキが
俺を見上げてニタニタ笑っていた。
「おい、聞こえねえのか、 餓鬼ども 返事をしろ!!」
一番柄の悪い餓鬼が立ちあがってこちらを睨みつける。
「おぃおっさん なんか文句あるのかよ」
言い終わる前に、俺の前蹴りが餓鬼の鼻に炸裂 顔面を押さえてうずくまる。
慌てて立ちあがるもう一人の餓鬼の喉を思いっきり掴んだ。
俺の握力は百キロを越えている。
一瞬にして真っ青になる餓鬼を自転車がたまっている場所にぶち投げた。
クモの子が逃げるように、餓鬼どもは散っていった。

根性にねえ、餓鬼どもだ。

しかし、ああいう、輩が平気で人を殺すんだろう。

このような馬鹿餓鬼をぼこるため、なんか役が必要だなと思った
俺の目に自治会の掲示板に書いてある文字に止まった。

「自治会 役員募集」

なんか役職に就けば、えんりょうなく餓鬼をぼこれるな。
担当役員はTという70を遥かに越えたおじいちゃんだった、電話をすると
天からの助けと言わんばっかに(是非、お寄りください)と言うので、その足で
隣の三号棟に向かう。
ピンポンを鳴らすと、子供ぐらいの背丈で人の良さそうな顔を、したお爺さんが出てきた。
無表情で入ってと言われる、俺は事の成り行きを話、取り敢えず、うるさい糞がきをボコりたいから、役員にしてくれと頼んだ。
ジジイは無表情でTVを見ていた、俺は出された生ぬるいお茶を一口だけ飲んで(それじや)と帰ろうとすると、すみません、よかったら是非、会長をやってください((((;゚Д゚)))))))
はぁ会長って何するんですか、まぁ細かい事はまたあとで・・・・考えず話を聞いたのが事の始まりだった。
帰って考えた、今でも死ぬほど忙しいのに、これ以上忙しくして、どおするんだい、やはり、この話は断ろうと思った時、役員のおじいちゃんの顔が思い浮かんだ、二年前、奥さんを亡くしたと言っていた、子達は独立して都心に住んでいる、あのお爺ちゃんは毎日何が楽しくて生きているんだろう、そういえば隣の隣には呆けてたまにドアを叩く老婆がいる
俺が昼間いる事をいい事にドアを叩いて死んだ旦那が帰って来ないと訴える、話を聞いてやると金を貸してくれとつけあがる。
ボケて乳母車を引き続ける婆ぁはいつもニコニコ笑っている
あの老人達は本当に幸せなんだろうか?
子供の為に必死に働き苦労に苦労を重ねた結果が姨捨山のような団地の一人生活、この団地は三割が後期高齢者らしい、そして、俺も近いうち、その仲間に入るのだろう、
人の良さそうなお爺さんの顔を思い浮かべていたら、こんな俺でもなにかの役に立つのかなと思ったりした。
俺は儲からない空手道場をやりながら、売れない小説を書いている、趣味で始めた書物はもう二十年になる、多くの女性が俺の才能に期待してくれたが残念ながらまだ花は開かない、
最近やっと小説のかきかたがわかって来たと思う、夕方から空手道場が始まるから、それまでは、家で毎日三時間ぐらい執筆をしている、こんなブログ書いてる暇があったらさっさとデビューしろと小説の師匠に怒られそうだが、これはこれでなんだかのテーマを持ってくれれば将来の役に立つような気がしている、今後、日本はさらに少子高齢化が進むであろうから、その社会で一人一人がどのような生き方ができるのか問われるのではないだろうか。

会長に推薦されて最初にやった会議は副会長と称するもう、この団地に30年も
住まわれているおばさま方とのお話し合いであった。
話しは現在の会計、会長の事、団地に於ける問題点など様々であった。
特に後期高齢化が進んでいるこの団地で、もし関東大震災並みの地震が来たら
車椅子や自分で歩けない高齢者を誰が助けるかという話しに及んだ。
俺も3年前の東日本大震災で天災の恐ろしさを現実に体験したが、直接、被害にあったわけではない、そういう意味では東京に住む殆どの人が震災をなめてかかっていると
いわざるを得ない、もしが現実になるのは、明日かも知れないのだ。
Blogネタ的には面白くない話しではあるが、このときよりひとつの宿命を背負ったような気がした、「もし会長になるなら命懸けの仕事になるぞ」

                                     *

その日も、小説を書いてるいると、思いっきりドアを叩く音が聞こえた、余りに激しく叩くものだから、俺は革命的警戒心を持ってドア越しに聞いた



「どなた?」


お父さん早く帰って来なさい!


????


「帰ってこいったってうちですが?」


恐る恐るドアを開けてみると
そこには下着姿の白髪の老婆が腰を曲げて、こちらを見上げている


「己、現れたな妖怪変化‼」


思わずぶん殴りそうになったが
二つ隣の痴呆症のババァだ。

お婆さん、何やってんの
そんな格好じや風邪ひくよ
よく見ると粗相したのか股引が濡れている
 
「お父さんが帰って来ないのよすれ違っちゃたみたい」

なぜか笑いながら俺に語りかける

この老婆のお父さんは数年前に亡くなっているらしい、もういない亭主が帰って来ると思い、なかなか帰ってこないからすれ違ったと
思っている
「婆ちゃん、早く帰りな」
俺は話していても拉致が開かないと思い帰宅を薦めた
「俺の親父 どこいってんだろうね、本当に困ったよ」
玄関に座り込み駄々をこねる婆さん
「あの〜困っているのは俺ですが」
「取り敢えずお茶でも飲もうか」
俺が言ったんではない
「ばばあが催促してきやがった」
仕方がないので麦茶を冷蔵庫からグラスに入れて玄関まで運ぶと婆ちゃんの姿がない
表を見ると隣のうちをガンガン叩いていた。
「何ですか?」
昼寝に勤しんでいたお隣さんが迷惑そうに出てくる
「いえ、たいした事ではありません お邪魔しました」
「何で俺が謝るんだよ」
ばばあを連れて家に(部屋に)帰る
玄関を開けて、ばばあを入れてあげる
「親父にあったら、帰ってくるようにいってくれ」
「はいはい、わかりました」
死んだ親父を待って徘徊する老人、ここには何人いるんだろう

俺が会長になったら、この人達に
なにが出来るんだろう


「お婆ちゃんともかく今日は早く帰りな 」

優しくいうと笑いながら、屁をこいた!
仕方がないので、手をとって部屋まで連れて行く 玄関を開けて婆ちゃんを押し込むと、うなだれてしまう。
「お婆ちゃん元気だせ」
激励すると、突然仰向けになり足をあげる
(俺に取り替えろってか)
取り替えるのはいいが、婆ちゃんのパンツ脱がして脚をあげているとこ誰かに見られたら
(ど変態親父、老婆を犯す)と新聞にでるだろう
「勘弁してくれ婆ちゃん」
      俺は逃げるように家に帰った。

                                      *

5月3日から6日まで那須のキャンプ場でテントを張った、二日の夜、慌てて準備をしていたら自転車を道場の前に忘れてしまった。
帰って来たら、やはりない、おまけに息子の自転車までなかった、行政が違法自転車を管理場に運んだのだ、身分証を見せて二台分の引き取り手数料5000円を払う、よくよく考えたら、これってヤクザと同じだなと思った。
俺のシマに自転車停めてやがったから撤去したぞ、返して欲しかったら金払えってことだろ、自治会でも自転車問題は大きな課題だ、自治体がヤクザにならないようにしなければ。
なにはともあれ、俺が会長になる方向で自治会は進んで行った、最初の役員会が行われた。
前会長は元公務員で定年退職ご自分で海外貿易の仕事をしている人だった、真面目で卒がなく、すべて、きちんとしなければ、いけない性格の人だった。
初の役員会が行われた。
何気なく、参加
が、びーーーーん
ほとんど、後期高齢者であった。
「あのーーーー失礼します」
                 逃げようとした、その時

「新しい会長さんです」
まだ、やると言ってないぞーーーー

パラパラパラ
な、なんだ、この嫌々ながらの拍手は、
「それでは新しい会長さん 御挨拶を」
ふぅーーーーー(一呼吸)
「こんばんは、木村拓哉です」
………………
「ち、ちがうかーーーーー」
………………
「えー政治経済の問題ですが……まぁそのーーーー」(田中角栄の物まね)
…………………………………………………………
だめだこりゃ

俺の世界が通用しない 早くこの場を去らなければ・・・・・

その時気合いの入ったおばあちゃんから「新しい会長さんに拍手」

真剣な拍手!!

鳴り止まない

泣いてる人いる

「た、たすけてくれーーーーー」
………………
いずれにしても、流れで自治会長になってしまった
元、不良少年で二回も離婚し誰からも相手にされないような
ヤクザに等しいこの俺が自治会長!!

本当に大丈夫かよ
知らねえぞ
ッ感じで迎えた「自治会 総会」
俺は所信表明という話をした。

「元気ですか!!」猪木調
「はっはっはっは」
完全に引かれている   耳を閉じているばばぁもいる
俺はかまわず続けた

「この度、諸先輩のご推薦で会長になりました00です年も若く
なんの経験もありませんが、明るく住みやすい団地を目指し全力で頑張って参ります」

パラパラパラ     微妙な拍手

元の会長には「余計なことは言わない方がいいですよ」と言われていた。
はぁ、そんなもんですか。

質疑応答で苦情の数々
「猫や犬の臭いがひどくて生活できない」
「きちがいばばぁが夜中怒鳴り込んでくる、壁を叩いて眠れない」
「祭りに参加しているのは俺だけだ、おまけにビールの一杯も出さない、自治会はどうなってるんだ」
「ふざけるな、この野郎、てめえ、だけが住んでるんじゃねえぞ」
と言いたい言葉をかみ殺し、会長としての先の見えない闘いがはじまりましたとさ。
                       *

自治会長になって初めての仕事
それは
運動会の来賓としての参加
であった。
キチンと背広を着てネクタイを締めて(何年ぶりだ)
地元の運動会に参加 一応 お祝いを包む
中にはボロボロの五千円札
それも最初は「いらない」と言われた。
うるさそうな会計のおばちゃんは俺よりも年上のシングル
俺と同じく離婚組かとおもいきや 数年前に死別
そうか、みんなそういう歳なんだ
メガネの奥から意地悪そうな眼が光る
一銭だって無駄遣いは許さないという空気満々
お祝いも出ないなら、来賓なんてみっともなくて行けるか
と思っていた矢先、五千円入りの汚れた、のし袋を持ってきた。
「お父ちゃん何年前になくなったの」
聞くときつい眼がよけいきつくなった。
「あんな、くそ親父、死んで清々したよ」
「そんな、ひどい親父だったの」
それから、親父の悪口聞くこと1時間
俺はご祝儀がほしいだけなのに
しかしながら、俺はわかっていた。
こういう話は聞いてあげれば半分が解決する
そのうち、ハンカチで眼を覆い泣き出した
「とんでもない、親父だったけど、また会いたい」
俺は今までの人生で、いったい何人の女と付き合ったのだろう。
でも、また会いたいと言ってくれる女は何人いるだろうか。
思い返しても一人か二人かな。
この団地には様々なドラマがあるような気がした。
「Blogネタにはなるな」

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                               *
会長になって最初の大仕事は「夏祭り」であった

昨年は役員でも何でも無く、偶然参加したが、インドの子供達が
狂ったように踊りまくっていて、なんかインド祭りのようだった

我が地域、西OOはインドの移住者が東京都内で最も多いい地域で
TVなどにも度々紹介をされている。

始めて参加した「夏祭り」は残念ながらインド人と高齢者だけの暗い盆踊りだった

今年は変えなくてはならない。

イベントは俺の専売特許だ、どこの自治会もできない凄いイベントにしてやる
決意を新たに準備に取りかかった。

まず始めに手を付けたのは昨年非常に好評だった「阿波踊り」である
地元の阿波踊りチームである「江戸O」さんにお願いをして駅前から
踊りを流せないか聞いてみる 問題は交通規制と参加人数だ

地元でお世話になっている区議会議員さんに連絡を取り地元の警察署に
同行をして貰った、担当の交通課長は計画書をしっかり作って道路規制
申請書を提出して欲しいとの事、早速、町おこし阿波踊り計画書を作成して
度々、警察署を訪問した、この警察署は十三年前、取り調べで呼び出しを
受けたところだ、当時、うちにいた生徒の母親が避けられない事情のため
事件を起こしてしまい、関連していた自分も取り調べを受けた。
当時の刑事さんはいるのだろうか、思うに本庁での取り調べに比べ
地元の警察の人達はどことなく人情味に溢れていて優しかった様に思う

俺が護身用のナイフを車に携帯したときにも、取り調べられたが
格闘技談義に花が咲き、最後は笑顔で見送ってくれた。

何度かの訪問により「道路使用許可」を取ることができた

あとは内容だ、昼間から店舗をたくさん出店させて、盛り上げるため
家族全員に声をかけ、また、できる限りの人脈を使い三十店舗近くの
店を開設させることができた。

昨年よりも大きな櫓を組み、昼は空手のエキシビションマッチを行い
夜は百名を越す「阿波踊り」を駅前から行進させ大いに盛り上がった
「夏祭り」を開催することができた。

それまで「あんな若いヤクザみたいな奴が自治会長なんかやったって、うまくいくはずが無い」というような雰囲気を一掃することができたように思う。

しかし、本当の自治会長としての闘いはここが始まりであった。  
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